仏教的「信」とは何か
釈尊の死生観
親鸞聖人の死生観
道元禅師の死生観
日蓮聖人の死生観
白隠禅師の死生観
通常、宗教的「信」を信仰という。しかし、仏教では「信心」という。仏(ブッダ釈尊)は仰ぎみる対象ではないからである。釈尊は人間として成仏されたのであって、天の「神」がその御身に降臨したのではない。だから、仏と我々(衆生)は基本的には平等である。人間としては平等ではであるけれども、ただ、その立ち位置が仏と我々(衆生)では異なるのである。
日本人は、人間は「肉体と霊魂」から成っていると考える。しかし、その人間がどこから来てどこへ往くのか考えようともしない。肉体は死によって滅びるけれども霊魂はいつまでもここにある。日本人の宗教的関心はただ一点“死後の霊魂をどうするか”であった。
一方、仏教(インド人)では、人間は「肉体と心」から成っていると考える。その人間的存在は認識と行為の主体である。その認識と行為の主体を「業(カルマ)」と呼ぶ。しかも、この業が人間(的存在)を作る。業は決して滅びない。過去現在未来へと永遠に続く。今生は業形成の一つの過程に過ぎない。今生は過去生の結果であり、今生は未来生の原因である。衆生(人間)は生まれ変わり死に変わり幾多の生涯をあたかも車輪を回し続けるように繰り返す。この車輪回しに終わりはない。この理を「輪廻(転生)」という。今生の不幸は過去世の悪業の結果であり、今生の幸福は過去世の善業の結果である。悪因悪果・善因善果・・・「因果の道理」は歴然として存在し、人々と社会を拘束する。“悪を絶ち、善を勧める”ことはだから仏教的救いの基本である。
衆生(人間)は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道(世界)を輪廻する。六道は人の心のあり方と考える向きもあるが、そう考えた途端に仏教は宗教ではなくなる。仏教思想へと堕落する。「業と輪廻(転生)」(因果の道理)という考え方は日本人にはない宗教観である。だから、因果の道理に信を置くことが我々日本人にとっての仏教的「信」つまり信心の基本である。何故ならば、釈尊は当然として、親鸞、道元、日蓮、白隠等の祖師方もまたかかる「因果の道理」(業と輪廻・転生)を前提として教えを説かれているからである。
以下、釈尊および四人の祖師方の死生観を通して、仏教の「信心」(信仰)の姿を見てみたい。
釈尊の死生観は即ちインド人の死生観(宗教観)である。仏教の基本もここにある。釈尊の第一声が初転法輪経にこう伝えられている。釈尊は五人の修行者仲間へ問いかけられた。
修業者どもよ。如来は尊敬さるべき人、正覚者である。耳を傾けよ。不死が得られた。わたくしは教えるであろう。わたくしは法を説くであろう。汝らは教えられたとうりに行うならば、久しからずして、良家の子らが正しく家から出て出家修業者となった目的である無上の清浄行の究極を、この世においてみずから知り証し体現するに至るであろう。
みずから老いるもの・病むもの・死ぬもの・憂うるもの・汚れたものであるのに、老いるもの・病むもの・死ぬもの・憂うるもの・汚れたものに患(うれ)いを見出だして、不老・不病・不死・不憂・不汚である無上の安穏・安らぎを求めて、不老・不病・不死・不憂・不汚である無上の安穏・安らぎを得た。そうしてかれらにはこの智と見とが生じた。われらの解脱は不動である。これは最後の生である。もはや再び生存することはない。
五人の修業者の群はわたくしにこのように教化せられ、このよう教えられて、みずから生まれるものであるのに生まれるものにおいて患いを見出だして、不生なる無上の安穏・安らぎ(ニルヴァーナ)を求めて、不生なる無上の安穏・安らぎを得た。
冒頭、釈尊は「修業者どもよ。如来は尊敬さるべき人、正覚者である。」と宣言されている。修行者たちは苦行を共にした仲間である。釈尊と彼らに立場の上下はなかったはずである。しかし、今修行者ゴータマ(釈尊)は師の立場で修行仲間に対している。その自信の根拠は何なのか。
釈尊は続いて「耳を傾けよ。不死が得られた。」と述べられている。「不死」とは再生しない、つまり“輪廻しない”ということである。釈尊の修行の目的は輪廻からの解脱であった。だから、“輪廻から解脱した”ということは修行の目的が果たされたということである。修行が完成した、正覚者となったという自覚が釈尊の自信(信心)の根拠である。
修行者たちもまた輪廻からの解脱を求めていた。だから、お前たちもまた教えられたとうり行うならば久しからずして私が証したと同じ立場つまり「不死」が得られると教えられたのだ。修業者たちは教えられたとおりに修行し、不生なる無上の安穏を得た。「これは最後の生である。もはや再び生存することはない。」・・・釈尊と五人の修行者の共通認識であった。
釈尊のめざされた所もまた仏教二千五百年のめざしてきた所も「不死の実現」つまりは「輪廻からの解脱」であった。仏教を学ぶ者はここの所はしっかりと頭に入れておかなくてはならない。
仏教の基本は「因果の道理」である。ここの所をもう一度確認しておこう。輪廻(転生)の原因は業である。法句経・126にこうある。
あるものはひとに生まれあしきをなせるものは悪処(あしき)にゆき行いよきものは福処(よき)にゆき諸漏(まよい)のつきたるものは涅槃(さとり)に入るなり悪業を為せばは地獄(悪処)に落ち、善業を為せば天(福処)に生まれるというのである。法句経・第九章「悪行」(あしきわざ)では善悪それぞれの趣く処を取り上げて悪を断ち善を行うよう勧めている。同経・第183句はここ所をまとめてこう教える。
ありとある悪を作(な)さず 諸悪莫作
ありとある善きことは身をもって行い 諸善奉行
おのれのこころをきよめんこそ 自浄其意
諸仏(ほとけ)のみ教えなり 是諸仏教
有名な「諸悪莫作」の教えである。善行であれ悪行であれ、諸漏(まよい)が尽きていない限り輪廻の原因となる。その上で釈尊はまず善行を人々に勧めたのである。それが自らの意(こころ)を浄めるからである。
親鸞聖人の死生観を歎異抄に探りたい。第五段にこうある。
親鸞は、父母(ぶも)の孝養(きょうよう)のためとて、一辺にても念仏まうしたること、いまださふらはず。そのゆへは、一切の有情はみなもて世々生々(せせしょうしょう)の父母兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生(じゅんじしょう)に仏になりてたすけさふらふべき
“袖すり合うも他生の縁”というが、「一切の有情みなもて世々生々の父母兄弟」なりとはこういう趣を言うのであろう。「世々生々」とは幾度も幾度も生まれ変わるということであり、輪廻のことに他ならない。その間には一切の衆生(有情)が親兄弟であったかも知れぬ。だから、この悪業の輪廻の循環を断ち切って次の生(順次生)では仏となって誰も彼も助けねばならないと聖人は言われるのである。
自力の念仏ならばそれを回向して父母の後生を助けることも出来るかも知れぬ。しかし、自力の念仏などはあり得ないのだから誰も父母の後生など助けることは出来ない。これは父母の後生は父母自身の問題であるということである。ここでは日本人の伝統的な死生観が完全に否定されている。後生の在り方をきめるのはその人の「業」であって、慰霊・鎮魂の為の追善供養は何の役にもたたない。これは先祖供養の否定である。極楽浄土に往生する者はする。しない者はしない者で生死流転(輪廻)する。親鸞聖人にあってはかかる世界は自明のものであった。
だから、とにかく自力を棄て、浄土の念仏をいただいて(さとりをひらいて)たとえ地獄(六道)に堕ちようとも、また、魚獣(うおけもの)の類の身を得ようとも、どのような業苦の世界にあっても方便「念仏」の神通力をもって救える所から救いたいものだ。
親鸞聖人にあってはかかる生死流転(六道輪廻)の世界は実態として存在していた。この事実を我々はきちんと認識しなくてはならない。かかる認識なくして親鸞聖人の世界は決して理解できるものではない。親鸞聖人にとって地獄は実態として存在していた。二段の次の箇所もこの観点から読むのでなければ、歎異抄よみの歎異抄知らずとなってしまうであろう。
新鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかぶりて、信ずるほかに別の仔細なきなり。念仏は、まことに浄土にむまるるたねにてやはんべるらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん、総じても存知せざるなり。たとひ法然聖人
親鸞聖人にとって来世の地獄は必定の事実なのである。その必定の事実が法然聖人のおかげをこうむって反転、浄土が約束されたのである。これも聖人にとっては事実なのだ。来世の極楽往生は疑ってはならない。だから、念仏が浄土の種なのか地獄の種なのか私は一向に知らない、だだ師の仰せを信じて念仏するだけなのだと言われるのである。ここには永劫の生死流転の定めからようやっと抜け出せた(解脱)という親鸞聖人の静かな喜びが隠されている。第一段をこの観点から味わってみよう。従来とは違った趣が感ぜられるはずである。
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて、念仏まうさんとおもひたつこころのをこるとき、すなはち摂取不捨の利益(りやく)にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には、老少善悪のひとをえらばれず、ただ信心を要とすとしるべし。
信の念仏が実現した時浄土への往生が約束されたのである。生死流転の生涯からようやっと解放されたのである。聖人の確信の心持ちが言葉の端々から伝わってくるではないか。次に、親鸞聖人の説く「宿業」について考えてみたい。宿業とは宿世の業という事であって、生死流転の過去のいくたびの生涯に為した善業と悪業というような意味である。第十三段にこうある。
弥陀の本願不思議におはしませばとて、悪ををそれざるは、また本願ぼこりとて、往生かなふべからずといふこと、この条、本願をうたがふ、善悪の宿業をこころえざるなり。よきこころのをこるも、宿善のもよほすゆへなり。悪事のおもはれせらるるも、悪業のはからふゆへなり。
歎異抄は唯円の著作であることは現在はっきりしている。前半は親鸞聖人からの聞き書き、後半は唯円の異端批判である。ここでは、「本願ぼこり」について問題定義している。本願ぼこりとは弥陀の本願にはどんな悪事を為そうとも救いが約束されている不思議な力があるのだということを笠に着て悪事を畏れないことである。唯円坊の指摘せるところは、このような本願ぼこりの人は往生出来ないという事を言う人がいるが、かかる人は弥陀の本願を疑っているのであり、善悪は宿業によって生じるという事を理解していないのだ。よい心がおこるのも宿世の善業(宿善)がそうさせるのであり、悪事をたくらむのも宿世の悪業がさせる事なのである。
ここで注意が必要である。善悪はみな宿業の為せる結果である。一見「宿命論」の感じがする。そう感じるのは仏教における生死流転(輪廻)の意味を理解していないからである。仏教では無知(無明)と無自覚の行為(業)が生死流転の原因であると教える。しかし、我々凡夫はどうしても自分の尺度(我)でしか物ごとを見ることが出来ない。この自分の尺度(我)が生死流転の原因に他ならない。この意味で本願ぼこりを非難する人は自分の尺度(我)で本願ぼこりの人を非難しているのであり、本質において本願ぼこりの人と同じである。幸も不幸も今のこの境遇はただただ自身の宿業の為せる結果であり、自身の責任である。自分の尺度(我)で行動している限り生死流転の生涯は終わらない。
ただ、「弥陀の本願」と「信心」のみが真実なのである。だから夢夢本願を疑ってはならない。信心が決定した時、今生における生死流転の終結(解脱)が約束せられるのである。唯円坊はこう主張したいのである。ここの所を親鸞聖人の教えられる所に従って次に確認しよう。この段のつづきである。
故聖人のおほせには、卯毛羊毛(うのけひつじのけ)のさきにいるちりばかりもつくるつみの、宿業にあらずといふことなしとしるべしとさふらひき。またあるとき、唯円坊はわがいふことをば信ずるかとおほせのさふらひしあひだ、さんさふらふとまうしさふらひしかば、さらばいはんこと、たがふまじきかと、かさねておほせのさふらひしあいだ、つつしんで領状まうしてさふらひしかば、たとへばひとを千人ころしてんや、しからば往生は一定(いちじょう)すべしとおほせさふらひしとき、おほせにてはさふらへども、一人もこの身の器量にては、ころしつべしともおぼへずさふらふと、まうしてさふらひしかば、さてはいかに親鸞がいふことを、たがふまじきとはいふぞと。
これにてしるべし、なにごとも、こころにまかせたることならば、往生のために千人ころせといはんに、すなはちころすべし。しかれども一人にてもかなひぬべき業縁なきによりて害せざるなり。わがこころのよくてころさぬにはあらず。また害せじおもふとも、百人千人をころすこともあるべしと、おほせのさふらひしは、われらがこころのよきをばよしとおもひ、あしきことをばあしとおもひて願の不思議にてたすけたまふといふことを、しらざることをおほせのさふらひしなり。
「兎や羊の毛の先に留まるほどの小さな罪であっても宿世の悪業がそうさせるのだということを知らなくてはならない」と親鸞聖人は言われる。そして、唯円坊が思い出すにはある時、今は亡き聖人が「お前は私の言うことを信ずるか」と問われるので「勿論信じます」と答えたところ、「千人殺せ。そうすれば往生間違がいなしと言われたらお前はそうするか」と仰せになった。そこで、「私には一人たりとも到底殺せません」とお答えしたところ、「何故に親鸞の言うことが聞けぬ」といわれた。そして、こう諭されたという。
「このことからも知らねばならない。ただ無自覚にこころの欲するままに行動するのであれば、”往生のためだ。千人殺せ”と言われればすなわち殺すであろう。しかし、一人であっても殺せるという業縁がないから殺さないのである。自らの良い心がそうさせるのではない。情況によっては殺したくないと思っても百人千人を殺すこともあるものだ」と仰せになった。この話はどういうことを教えているのであろうか。次に唯円坊の解説である。善悪とはこうだ、と自分の尺度で推し量る。そして、そのような善を勧めそのような悪を廃して、それによって救いを期待する。このような計らいの態度では到底救いは成就しない。そうではなくて、善悪全てただ弥陀の本願の不思議に打ち負かせてこそ救いに預かれるということを理解させる為にかかる話をされたのである。
親鸞聖人における「宿業」について異なる観点から考えてみたい。「人生は苦である」とは仏教の原点である。親鸞聖人はこれを「人生は宿業から逃れられない」と言い換えたのだ。他の生命を奪わないでは我々は生きていくことは出来ない。この意味で、人間存在そのものが「悪」である。親鸞流に言えば人は全て「悪人」である。摘み食いをしたたけでも、盗みと殺生しているのであり悪事を働いたのである。親鸞聖人が兎や羊の毛の先の塵ほどの罪と言われたのはこういうことなのではないだろうか。人間に生まれたことは宿業の結果である。だから、人間として生きていく限りこの宿業から逃れられない。このことは善も悪も人間として発想する限り宿業から逃れられないということである。かく全てが悪の世界にあって、だから弥陀の本願のみが真実なのである。
道元禅師の死生観について、正法眼蔵から「深信(じんしん)因果」と「三時業(さんじごう)」について取り上げたい。まず、「深信因果」である。これは百丈野狐話を例話として真の因果とは何かを明らかにしたものである。まず、百丈野狐の話から確認しておこう。話はこうである。百丈山の大智(壊海)禅師は日夜修業者を集めては指導していた。その集会の席に一人の老人が修業者に交じっていつも聴聞していたという。修業者が退場すれば老人もまた退場した。ところが、ある日皆とともに退場せずにそのまま居たことがあった。禅師は不信に思って「貴殿は何者か」と質問した。すると老人はこう答えたという。「私は人間ではない。遠い昔迦葉仏の時代にこの山に住んでいた者である。
ある時、修業者が私に問うに”修業を完成(大修業底)した人ははたして因果に落ちるのか落ちないのか”と...私は”因果に落ちず(不落因果)”と答えた。その為にこうしてその後五百の生涯にわたって野狐の身に堕ちて今だそこから脱することが出来ないでいる。どうか和尚よ、私に代わってその修業者の為に答えてやって欲しい。願わくは、その事によってこの野狐身から脱したいものである」と。そして、禅師にこう質問した。「修業を完成した人ははたして因果に落ちるのか落ちないのか」と。禅師は答えた。「因果にくらからず(不昧<ふまい>因果)」と。老人はたちまち大悟した。そして、野狐身を脱した。話の筋はだいたいこんなものである。
次に、道元禅師の百丈野狐話に対する見解を聞いてみよう。
この一段の因縁、天聖広燈録にあり。しかあるに、参学のともがら、因果の道理をあきらめず、いたずらに撥無(はつむ)因果のあやまりあり。あわれむべし、澆風一扇(ぎょうふういっせん)して祖道陵替(そどうりょうたい)せり。「不落因果」はまさしくこれ撥無因果なり、これによりて悪趣に堕す。「不昧因果」はあきらかにこれ深信因果なり。これによりて聞くもの悪趣を脱す。あやしむべきにあらず、疑うべきにあらず。近代参禅学道と称ずるともがら、おほく因果を撥無せり。なにによりてか因果を撥無せりと知る、いはゆる「不落」と「不昧」と一等にしてことならずとおもへり、これによりて因果を撥無せりと知るなり
さて、因果とは原因と結果であって、こんなことは当たり前であるが、道元禅師にとっての因果とは文章の流れからして生死流転・輪廻のことに他ならない。今の修業者達は因果の道理を理解しようとしていない、そればかりでなく、因果は無いものとしてそのような考え方を捨て去っている(撥無因果)と禅師は苦言をていする。”撥”とは捨てるの意である。悲しいかな。末世の風が一吹き(澆風一扇)して仏祖の道は衰退して(陵替)しまった。因果に落ちず(不落因果)とは実に因果は無い(撥無因果)ということなのである。かかる誤れる考え方により地獄・餓鬼・畜生の悪趣に堕ちるのである。因果にくらからず(不昧因果)の立場は明らかに深く因果を信じて(深信因果)いる。だから、このことを聞く者は悪趣を脱することが出来るのである。あやしんでならない
また、疑ってはならない。今頃の参禅修業者と称する者たちの多くもまた因果の道理を無いものとして捨て去っている(撥無因果)。何故、このような事(撥無因果)になるのかと言えば、この者たちが因果に落ちず(不落因果)と因果にくらからず(不昧因果)を同じことだと理解しているからこうなる(撥無因果)のだという事がわかるのである。
続いて、禅師は今の日本の修業者たちも生死流転・因果の道理を信じていない。大善知識と呼ばれている人達でもこんな情況である。また、今頃の宗の国の多くの禅匠ですら撥無因果の邪法に迷っているとし、事例をあげて検証されている。そして、こう結論付けられている。
およそこの因縁に、じゅ古・拈古(ねんこ)のともがら三十余人あり。一人としても、不落因果是れ撥無因果なりと疑ふものなし。あはれむべし。このともがら、因果をあきらめず、いたずらに粉紜(ふんうん)のなかに一生をむなしくせり。仏法参学には、第一因果をあきらむるなり。因果を撥無するがごときは、おそらくは猛利(みょうり)の邪見をおこして、断善根とならんことを。
この段は先の今頃の宗の国の禅の仏教界の現状を踏まえての道元禅師の哀歎の叫びである。先人の事績を色々に工夫して学んではいる(じゅ古・拈古)けれども、不落因果を撥無因果として誰もがそう理解して何の疑いも持たない。悲しいかな。この人々は生死流転・因果の道理を明らかにせず、ただただ、あっちに行ったりこっちに行ったり右往左往して(粉紜)一生を虚しく過ごすばかりである。仏法参学の第一歩は因果の道理を明らかにする事でなくてはならない。因果の道理などないのだから言って捨ててしまえば、恐らくはとんでもない邪見を起して成道の可能性(善根)を断ってしまうことになるであろう。
何と、重たい言葉であろう。「生死一番」「生ききり」などと称して今生にしか感心がないのが今の禅坊主である。道元禅師の時代の中国にもかかる手合いの坊主が多くいたとは驚きだが、恐らくは、老荘の思想と習合したものであろう。道元禅師も自然見解(じねんけんげ)なりと断じておられる。先を続ける。修証義にも引用されている一段である。
おほよそ因果の道理、歴年としてわたくしなし。造悪のものは堕し、修善のものはのぼる。毫厘(ごうり)もたがわざるなり。もし、因果亡じ、むなしからんがごときは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず、おほよそ衆生の見仏聞法あるべからざるなり。因果の道理は、孔子・老子等のあきらむるところにあらず。ただ仏々祖々、あきらめつたへましますところなり。澆季(ぎょうき)の学者、薄福にして正師にあはず、正法をきかず、このゆえに因果をあきらめざるなり。撥無因果すれば、このとがによりて、もうもう蕩云(とうとう)としておう過(か)をうくるなり。撥無因果のほかに余悪いまだつくらずといふとも、まずこの見毒はなはだしきなり。
そもそも、因果の道理は遠い積年より続いてきた真理であって凡夫の我見の及ぶ所ではない。悪を為した者は悪道(地獄・餓鬼・畜生・修羅)に堕ち、善を修した者は善所(天・人間)に生まれる。その道理に違うものは僅かでもあり得ない。もし、因果の道理が亡くなり、その道理が価値のないものであるならば、諸仏の世に出現されることもなかったし、達磨大師がインドより中国に来られることもなかった。さらに、我々衆生が仏に会い、仏法を聞くということもなかったはずである。因果の道理は孔子や老子の説ではない。ただ釈尊から祖師代々面々と伝え明らかにされてきた所のものである。
しかしながら、末世(澆季)の修業者は不運にも正師に会わず、従って正法を聞くこともない。この為に、因果の道理を明らかにすることが出来ないでいるのだ。因果の道理を無いものとして捨て去る(撥無因果)のであれば、この過ちにより茫々として生い茂る草薮の中で道に迷うように大いなる災いを受けるであろう。撥無因果の他に悪は造ってはいないと言っても、因果の道理は仏法の基本なのだから、それを認めないという立場(撥無因果)はその害毒はなはだしきものである。
道元禅師の嘆き哀しむ心情が切々として伝わってくる。これほどまでに禅師が因果の理法・生死流転の世界を重視されているとは思ってみなかったというのが今の想いである。それにしても、世の仏教関係者の人々は呑気なものである。民族の伝統的な死生観の立場に立ちながらどうしてそれを仏教と言えるのであろうか。まさに「撥無因果」の立場で仏教を語っているのである。この立場でいくら論を尽くして語ろうとももはやそれは仏教ではない。道元禅師も必ずやそう評されるであろう。それではどうすれば良いのか。次に、禅師のその処方箋を聞いてみよう。
しかあればすなはち、参学のともがら、菩提心をさきとして、仏祖の洪恩(こうおん)を報ずべくば、すみやかに諸因諸課をあきらむべし。仏法を学ぶ者。まず、菩提心を基本とせねばならない。その上で、仏恩に報いるにはまず、因果の道理つまり仏教の死生観・輪廻の理法を理解し、明らかにせよと禅師は言われるのである。今まで見てきたように、道元禅師にとっての「因果」とは過去、現在、未来の三世にわたる因果であることは明らかである。今ここに三時とはこのことをさらに明らかにする為の禅師の老婆心である。「三時業」の巻を学びたい。
いはゆる善悪の報に三時ありとは、三時、一つには順現法受。二つには順次生受。三つには順後次受。これを三時といふ。仏祖の道を修習するには、その最初より、この三時の業報(ごっぽう)の理をならひあきらむるなり。しかあらざれば、おほくあやまりて邪見に堕するなり。ただ邪見に堕するのみにあらず、悪道におちて長時の苦をうく。続善根せざるあひだは、おほくの功徳をうしなひ、菩提の道ひさしくさはりあり。をしからざらめや。この三時の業は、善悪にわたるなり。
「順現報受業」とは今生の生存中に善悪の業を作り、その結果受ける因果の報である。「順次生受業」とは今生の生存中に善悪の業を作り、次の生にその結果として受ける因果の報である。道元禅師は今生で五無間業を作った者は必ず次生に地獄に堕ちるとお示しになっておられる。五無間業とは、殺父・殺母・殺アラカン・出仏身血(仏身を傷つける)・破僧和合(僧団の秩序の破壊)の五悪業である。「順後次受業」とは今生に善悪の業を作り、第三生以後、第四生あるいは百千生の間にその結果として受ける因果の報である。これは因果の法則つまり生死流転・輪廻の生涯から我々は逃れられないという事である。仏教はこの生死流転・輪廻からの解脱を目的とする。だから、道元禅師にとって、撥無因果つまり因果は無いとする考え方はもはや仏法ではないのである。
こうして、仏教修習にはまず「三時の業報の理」を学び明らかにせねばならないと禅師は主張されるのである。ここで、一点注意を喚起したい。道元禅師は”ならいあきらむるなり”と示されておられるが、これは参学者自身が自身の身の上に因果の理を明らかにすることによってのみ因果の理は理解できるのだということである。夢夢理屈で理解しようとしてはならない。それは自身の死生観はそのままにして因果の道理を理解することになるからである。今の仏教関係者の多くがこの手合いである。因果の理が自身の身の上に理解されなければどうなるか。さすれば多くの者達は道を誤り、そして、邪見に堕っするのみならず、三悪道に堕ちて長い間の苦を受ける。善根が残っている間は良いけれども、それも断たれれば多くの功徳を失い発菩提の道は久しく遠い。こう、道元禅師は嘆かれるのである。
まず因果を撥無し、仏法僧を毀謗し、三世および解脱を撥無する、ともにこれ邪見なり。まさにしるべし。今生のわが身、ふたつなしみつなし。いたづらに邪見におちて、むなしく悪業を感得せん、をしからざらんや。悪をつくりながら悪にあらずとおもひ、悪の報あるべからずと邪思惟するによりて、悪報の感得せざるにはあらず。
まず、禅師は因果を無いものとして捨て去る考え方いわゆる「撥無因果」を第一の邪見として取り上げられる。次に、仏法僧を毀謗するとは”仏教の宗教性を否定する”考え方と今は理解しておきたい。最後に、三世および解脱の撥無とは過去・現在・未来の三世の存在と輪廻などあり得ず、従って、そこからの解脱もあり得ないとする考え方である。これはもはや仏教の否定である。
今生は一生であって、二つも三つもあるわけではない。そのたった一つを邪見に堕ちて、悪業を重ねている。何と、惜しいことだ。悪を作って悪ではないと思い誤まる。この者達は悪の報いなどあり得ないと邪思惟しているけれども、悪の報いは必ずあるのである。道元禅師の嘆息はとどまる所を知らない。邪見に堕ち、邪思惟してしまったらどうすれば良いのか。道元禅師の処方箋を次に聞いてみよう。
世尊のしめしますがごときは、善悪の業つくりをはりぬれば、たとひ百千万劫をふとも「不亡」なり。もし因縁にあへばかならず感得す。しかあれば、悪業は懺悔すれば滅す。また転重軽受す。善業は随喜すればいよいよ増長するなり。これを「不亡」といふなり。その報なきにはあらず。
大宝積経の教説を受けて、善悪の業は作ったその瞬間たとえ百千万劫を経ようとも亡くなるということはないと道元禅師は念押しされる。そして、因縁に会えば報いとして必ず顕れるのだ。しかし、だからこそ、悪業は懺悔すれば滅するのである。あるいは、重罪を転じて軽くすることも出来る。善業は随喜すればいよいよ増大する。これを「不亡」とうのである。業の報いがないということはないのである。
日蓮聖人の死生観を「佐渡御書」と「千日尼御返事」の二編の遺文の中に探りたい。佐渡御書においては、聖人における業と輪廻の立場について考察する。そして、千日尼御返事では、聖人の浄土観を学ぶ。
まず、佐渡御書である。これは聖人が佐渡流罪後四ヵ月ほどの頃、富木常忍等の有力な弟子・信徒に対し書き送られたものである。師を失い、不安と動揺の中にあった弟子・信徒に対し、自分がかかる法難に遭うのは過去世の謗法(ぼうほう)の結果であり、反法華の人々を強く責めるのはその滅罪のためである。弘教の為には今は折伏のときである。日蓮は法華一門の棟梁であり眼目である。決して、法華経を棄てるような事はあってはならない。とこう、弟子・信徒等を鼓舞されている。
次に、過去世の謗法と今世の滅罪についての日蓮聖人の見解を聞こう。
日蓮も又、かくせめらるるも先業なきにあらず。不軽品にいはく、「其罪畢 巳(そのつみをへをわりて)」等云々。不軽菩薩の、無量の謗法の者に打擲(ち ょうちゃく)せらりしも先業の所感なるべし。何に況んや、日蓮今生には貧窮 下賎(びんぐげせん)の者と生れ、旃陀羅(せんだら)が家より出でたり。心 こそすこし法華経を信じたる様なれども、身は人身に似て畜生なり。魚鳥を混 丸して赤白(しゃくびゃく)二たいとせり。其中に識神をやどす。濁水に月の うつれるが如し。糞嚢(ふんのう)に金(こがね)をつつめるなるべし。心は 法華経を信ずる故に、梵天・帝釈をも猶、恐しとは思はず。身は畜生の身也。 色・心不相応の故に、愚者のあなづる道理也。心の又身に対すればこそ、月・ 金(こがね)にもたとふれ。又、過去の謗法を案ずるに誰かしる。勝意比丘が 魂にもや、大天が神(たましひ)にもや。不軽軽毀(きょうき)の流類なるか。 失心の余残なるか。五千上慢の眷属なるか。大通第三の余流にもやあるらん。
宿業はかりがたし。鉄(くろがね)は炎(きたひ)打てば剣となる。賢聖は罵詈(ばり)して試みるなるべし。我、今度の御勘気は、世間の失(とが)一分もなし。ひとへに先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし。
謗法の者は今は悦びでも、後には必ず苦を受ける。この一文は、提婆達多等の事例をあげてそう説かれた後の日蓮聖人の述懐である。ここの所を頭に入れて聖人の心持ちを学びたい。
日蓮もまたこのように攻められるのは先の謗法者と同様に前世の罪業ではないとはいえないのである。不軽品にも云っている。多くの人々に軽蔑され、謗(そし)られ、罵(ののし)られたけれども、不軽菩薩はそれをよく耐え忍んだ。そのことの為に前世の罪業が消えたのである。不軽菩薩が謗法の者達に罵詈雑言(ばりそうごん)され叩かれ追われたのも前世の罪業の結果だったのである。であるのに、どうして、日蓮今生には貧窮下賎の者として生れ、しかも、旃陀羅の家の出身である。法華経を少しばかり心は信じているようだけれども、身は人の姿に似ているだけで畜生の身である。
父母の和合(赤白二たい)によって生じ、その中に心(識神)が宿っているだけである。濁水に映った月のようなものである。また、糞袋で金銀を包んでいるようなものだ。心は法華経を信じている故に、梵天・帝釈といえども恐くはない。肉体は畜生の身である。このような畜身と法華経を信じているという心がかけ離れているが故に、愚者どもが馬鹿にするのも当然である。このような身だからこそ、心というものを月・黄金にも例えることが出来るのである。又、過去の謗法の事例をひもとけば知れてくるものだ。勝意菩薩か。大天か。不軽を軽しめ謗った者達の流れを汲む者か。本心を失った者か。法座を立ち去った五千の増上漫の仲間か。あるいは、大通仏の法華経を説くに大疑をもった者達の流類であろうか。かく宿業ははかりがたいほどである。鉄は鍛練によって刀剣となる。本当の賢人(賢聖)というものは非難され、罵り侮られた時にその真偽がわかるものだ。想うに、私が今度このような処罰を受けるのは世間・幕府の責任は少しもない。偏に、前世の謗法という重罪を今生に消して、来世の三悪道を脱れんが為なのである。
仏法はどこまで行っても自己責任である。日蓮聖人の述懐はみごとにこの事を我々に教えている。日蓮は他宗を非難するから法難に遭うのだ。今も昔も世間ではこう評する。しかし、念仏無間にしても禅天魔にしても聖人はそのあり方を非難されたのだ。自らの姿勢を正さずして、悪事を働きながら念仏して極楽往生を願う。これは本願ぼこりである。無間地獄に堕ちるは必定である。あるいは、不立文字・教外別伝と称して、勝手に理屈をつけては悟ったと称する。天魔の所業以外の何ものでもないではないか。今も変わらぬ禅の危うさではある。これも悪趣に至る道である。日蓮聖人は因果の道理の上に立ってそれらの危うさを批判されたのだ。全ての責任(とが)は自己自身にある。仏教の立場はそのまま日蓮聖人の立場である。
日蓮聖人にとって、因果は法華経の経文として自身の身上に顕れるものであった。次にここの所を確認しよう。
高山に登る者は必ず下り、我れ人を軽しめば、還って我が身人に軽易せられん。形状(ぎょうじょう)端厳をそしれば、醜縷(しゅうる)の報を得。人の衣服飲食(えぶくおんじき)をうばえば、必ず餓鬼となる。持戒尊貴を笑へば、貧賎の家に生ず。正法の家をそしれば、邪見の家に生ず。善戒を笑へば、国土の民となり王難に値ふ。是れは常の因果の定まれる法なり。日蓮は、この因果にあらず。法華経の行者を過去に軽易せし故に。法華経は月と月とを並べ、星と星とをつらね、華山に華山をかさね、玉と玉とをつらねたるが如なる御経を、或いは上げ、或いは下して嘲弄せし故に、この八種の大難に値へるなり。此の八種は尽未来際が間、一つづつこそ現ずべかりしを、日蓮つよく法華経の敵を責むるによて、一時に聚起(じゅうき)せる也。
日蓮聖人にとっても、因果の道理は因果の道理である。だから、人を軽蔑すればいつの生涯か軽蔑される身となる。容姿の醜いのを嘲笑すれば醜い身体に生れる。人の衣服飲食を奪えば必ず餓鬼道に堕ちる。持戒堅固で尊貴な人を笑えば貧賎の家に生れる。正法の家を謗れば邪見の家に生れる。善い行いを笑えば悪しき国に生れ王難に遭う。これは常人の因果であると聖人は言われる。日蓮はこれらの因果律に当てはまらない。何故ならば、過去世において法華経の行者を毀謗(きほう)したからである。月や星あるいはかの華山、玉をつらねたる如きのかの御経を持ち上げたかと思えば反対に見下して嘲弄したが為にこれらの八種の大難に遭うのである。この八種は遠い未来永劫の生死流転の間に一つづつ現れるところを、日蓮強く法華経の敵を責める故に一時にまとめて我が身に起こったものなのである。
八種の大難とは般泥恒経(はつないおんきょう)に説かれる過去世の罪業の報いである。聖人の引用を次にそのまま引用する
般泥恒経に云く、「善男子、過去に無量の諸罪、種々の悪業を作る。この諸の罪報は、あるいは軽易せられ、あるいは形状醜縷、衣服足らず、飲食そ疎、財を求むるに利あらず、貧賎の家、及び邪見の家に生れ、あるいは王難に遭ふ」等云々。
そして、日蓮がこの経文を証明しているのだ。日蓮なくばこの経文は仏の虚妄となってしまうとまで断言されている。
この経文は、日蓮が身なくは殆ど仏の妄語なるべし。
こういう言いように対し反日蓮の人々は日蓮の僻(ひが)み、強がりであると非難するけれども聖人の生死流転の苦しみに想いを至してみればそのことは当たらないことは自明である。かかる人々は因果を知らないのである。道元禅師の言う「撥無因果」の邪党である。
日蓮聖人の浄土観を”千日尼御返事”に見てみたい。これは、故阿仏坊の子、藤九郎が父の墓参に身延を訪れた際、母千日尼に託された書状である。
されば、故阿仏坊の精霊は、今いづくにかをはすらんと、人は疑ふとも、法華経の明鏡をもって、其の影をうかべて候へば、霊鷲山の山の中に、多宝仏の宝塔の内に、東向きにをはすと、日蓮は見まいらせて候。もし此の事そらごとにて候わば、日蓮がひがめにては候はず。釈迦如来の、「世尊は法久しくして後、かならず当に真実を説きたはふべし」の御舌と、多宝仏の、「妙法蓮華経は皆是れ真実なり」の舌相と、四百万億那由多の国土に、あさのごとく、いねのごとく、ほしのごとく、竹のごとく、ぞくぞくとすきもなく、列ねてをはしましし諸仏如来の、一仏もかけ給わず広長舌を、大梵王宮に指し付けてをはせし御舌どもの、くぢらの死してくされたるがごとく、いわしのよりあつまりてくされたるがごとく、皆一時にくちくされて、十方世界の諸仏如来、大妄語の罪にをとされて、寂光の浄土の金(こん)瑠璃(るり)の大地、はたとわれて、提婆がごとく無間大城にがばと入り、法蓮香比丘尼がごとく身より大妄語の猛火ぱといでて、実報花王の花のその、一時に灰じんの地となるべし。いかでか、さる事は候べき。故阿仏坊一人を寂光の浄土に入れ給はずば、諸仏は大苦に堕ち給べし。ただをいて物を見よ見よ。仏のまこと・そら事は此れにて見奉るべし。
一日二日たがいしをだにも、をぼつかなしとをもいしに、こぞの三月の二十一日にわかれにしが、こぞもまちくらせども、みゆる事なし。今年もすでに七(なな)つきになりぬ。たとい、われこそ来たらずとも、いかにをとづはなかるらん。ちりし花も又さきぬ。をちし果も又なりぬ。春の風もかわらず、秋のけしきもこぞのごとし。いかにこの一事のみかわりゆきて、本のごとくなかるらむ。月は入りて又いでぬ。雲はきへて又来る。この人の出でてかへらぬ事こそ、天もうらめしく、地もなげかしく候へとこそをぼすらめ。いそぎいそぎ法華経をらうれう(糧料)とたのませ給て、りやうぜん浄土へまいらせ給て、みまいらせ給べし。
浄土教は「常世の国」に極楽を当て、「黄泉の国」に地獄を当てた。伝統的死生観からすれば、死後の霊魂の往き場所はどうしても必要である。じかに民衆と接しられる事の多かったであろう日蓮聖人にとっても気に掛かる所であったに違いない。聖人はその霊魂の往き場所として霊山浄土を説かれた。阿仏坊の霊魂は霊鷲山の法座の多宝塔の中おわすと言われる。しかも、東向きにおわすという。東向きとはこの日本国に向かってましますという事である。多宝仏とは聖人も説明されているが、法華経の説かれる所、いつどこでも出現して「妙法蓮華経
は皆これ真実なり」と証明せんと誓願された過去仏である。阿仏坊の肉体は今はこの世に存在しないけれども、霊魂は霊鷲山会上に多宝仏として成仏してわが日本に向かって結跏趺坐している。この事はどういうことかと言えば、法華経の行者の事績が「法華経は皆真実なり」との証明なのだ。後の者はこれを学ばねばならないという日蓮聖人のメッセージでもある。だから、もし阿仏坊の霊魂が霊山会上の多宝仏塔中にましまさなければこの会上に参集せり諸仏・如来は大嘘つきの堕地獄となる。この事をよくよく考えよと聖人は言われるのである。
そして、夫を亡くした妻千日尼への深い同情の念いを切々と述べられる。一日二日会えなくても寂しいものを、阿仏坊が亡くなって一年余りもたってしまった。散った花はまた咲く。落ちた実もまた実る。春の風も、秋の景色も変わらない。月は雲に隠れてもまた出でる。しかし、人の亡くなったのは二度と出で来ない。天もうらめしく、地も嘆かわしい想いである。どうか、法華経を道中の路賃として霊山浄土へ参って阿仏坊殿とお会いなされよ。
(六趣輪廻の因縁は己れが愚痴の闇路なり)
白隠禅師の伝記によれば、禅師は幼少の頃より感受性の強い神経質な子供であったようである。十一歳の時、寺の説法で聞いた地獄の話に恐怖し、それ以来”地獄に堕ちない為の方策は何か”が禅師の生涯の命題となったと言うことである。ここの所を踏まえて「坐禅和讃」の次の一文を味わってみよう。
六趣輪廻の因縁は、己れが愚痴の闇路なり。
闇路に闇路を踏み添えて、いつか生死を離るべき。
衆生は本来仏である。しかし、衆生はそこに気が付かない。そして、自己の外に仏を求めている。(衆生本来仏なり。水と氷の如くにて、水を離れて氷なく、衆生の外に仏なし。衆生近きを知らずして、遠く求むるはかなさよ)和讃文頭の命題を受けての一文である。その得難き人身を受け、逢い難き仏法に逢っているのに、愚か人は生死流転の 原因(六趣輪廻の因縁)ばかりを造っている。その原因とは自己の尺度・自己の都合(我執)で生きることである。ここを白隠禅師は愚痴の闇路と言われているのである。 生死流転は自己のことしか見えない衆生自身の責任である。こんな事でどうして生死流転から解脱出来ようか。白隠禅師の嘆息が聞こえてくる。禅師にとって、悪趣六道は実在した。そこからの解脱は禅師にとっては少年の頃よりの切実な問題であった。ここの所を理解しないでは到底禅師の教えを自己のものとする事は出来ない。
さて、六道輪廻を心のあり方とする考え方がある。地獄(怒り)、餓鬼(貪り)、畜生(愚かさ)、修羅(争い)、人間(迷い)、天(幸せ)・・・しかしながら、はたして、この考え方は白隠禅師の真意にかなうものなのであろうか。
宗教はその背景にその民族及び社会を背景とした死生観を持っている。仏教のそれは因果応報・輪廻転生である。白隠禅師は明らかにかかる世界に生きておられた。地獄や極楽は信じられないからと言って、前世、来世を否定してしまえば、これは、道元禅師の言われる「撥無因果」である。これはもはや仏教ではない。地獄、極楽が実感されるからこそ無知(愚痴)の暗やみ(闇路)に共感できるのである。六趣輪廻の悪業に戦慄するのである。
かっては多くの日本人が仏教の説く死生観を持っていた。悪事をすれば地獄に堕ちる。血の池、針の山が待っている。嘘をつけば閻魔さまに舌を抜かれる。昭和二十年代、私の幼年期、祖母や祖祖母に繰り返し聞かされたものである。
この社会自体が民族の伝統的死生観を本源的にもっている。放置すれば自然とそこに戻っていく。今の仏教界はまさしく此の情況下にある。仏教側がこの方面で信徒大衆を教化するのでなければ、人びとは到底仏教の死生観(因果応報・輪廻転生)に生きることなど出来ない。白隠禅師の時代とて事情は同じであった。禅師ご自身、寺での地獄説法を機縁として堕地獄脱却の願を持たれたのであった。禅師もまたかかる民衆教化に努力なされた。次項ではここの所を見てみよう。
(叫喚、焼熱、黒縄、衆合、紅蓮、大紅蓮の難所へ追い落とされて無量恒沙の苦患を受くる事は目のあたりなるぞや)
白隠禅師の仮名法語「仮名葎(むぐら)付けたり新談義」は隻手音声(せきしゅおんじょう)の公案に参ずることを人びとに勧めるものであるが、禅師は法話の前半において怠惰の者の堕っする所の地獄の様子を事細かに説明されて堕地獄しない為の人々の努力を喚起されている。
これはこれは何れもいい合わせて、けふは大勢よふ見へられた。近か頃奇特でおりやるよ。いふに及ばぬ事ながら、さりとては大切の時節なるぞや。おし付け生死到来、三途の旧里(ふるさと)に立ち帰って、叫喚(きょうかん)、焼熱、黒縄(こくじょう)、衆合、紅蓮(ぐれん)、大紅蓮の難所へ追い落とされて、無量恒沙(むりょうごうしゃ)の苦患(くげん)を受くる事は目のあたりなるぞや。あい構へて油断是れあるべからず。
開口一番、禅師は参会者に近ごろ珍しい感心な方々だと呼び掛けておられる。禅師の時代でも法話を聞きに来るような人は珍しかったのであろう。当然の事ではあるけれども、今が大切である。死はすぐにもやってくる(生死到来)。さすれば、何時か来た道、再び三途の故郷に舞い戻って、叫喚、焼熱などの地獄に追い落とされて未来永劫の苦しみを受けることは目に見えている。お互い、合い構えて油断してはならぬぞ。
続いて、成仏は一念にあるのに、怠惰の人びとには涅槃(さとり)は未来永劫の先のことであると、仏も説きおかれている。だから、一念一刹那の精進が大切なのである。こう禅師は説かれた後、次にこう説かれている。
懈怠(けたい)の衆生とは誰ぞや。我も人もたまたま受け難き人身を受け、逢い難き仏法に逢いながら、夢め幻ろしの如く、千年(ちとせ)も百年(ももとせ)も生きはつべき心持ちにて、食ひたひ様にくひ、飲みたひ様に飲み、寝たひ様にいね、遊びたひ様に遊そんで、芥子ばかりの菩提心もなく、一升の事には五斗ばかりの腹を立て、五文が事には五貫ばかりの気をもみ、頂上より足の裏らまで全体、三毒五欲、五臓より六腑をつらぬひて、総に是れ貪欲瞋恚(しんに)、毎日朝より暮に至るまで、身三口四(しんさんくし)の十悪を作り重ねて、負ひかたげて冥途に入る。
怠惰の人びと(懈怠の衆生)とは我々自身の事である。人の身に生れ、しかも、逢い難き仏法にあった。なのに、いつまでも命あるものと思い、好きかってに暮らしてきた。ひとかけらの菩提心もなく、些細な事で腹を立て、僅かばかりの小事に夜も眠れぬはどに心配する。身体全体、内蔵にいたるまで三毒五欲に汚されて、むさぼり瞋(いか)り、朝から晩まで、身口意の三業の十悪を作ってはまた作り、そうして、冥途に往くのである。三毒は貧瞋痴、五欲は色・声・香・味・触の五境に対する欲望である。禅師は法話を続けられる。次に、禅師は地獄の有様を詳しく述べられる。その初めの部分を見てみよう。
その初め死する時は、何の正体もなく濃く寝入りたるごとく、何の覚えも無く、しばらくあって幽(かす)かに性根つきて目を開けば、いつしか冥府に落ち入り、死出の山,三途の河原など恐ろしき難所の目ざすも知らぬ暗き闇路を、おぼろおぼろと五里も十里もたどり行くよと思へば、方量も無き広き野原に出でぬ。この所は月日の光は無くて、昼より明らかなる事、大火聚場(じば)の如し。これ皆焦熱大焦熱の猛火の、どどともへあがるものなり。
なかなか親切なご指南である。死んだその時は熟睡(濃く寝入りたる)しているが如くであるという。まもなく、目が覚めて暗やみの世界(冥府)に堕ちた自分に気がつく。
死出の山を越え、三途の河等数々の難所、目を刺されてもわからないような暗い暗い闇路を夢心地でたどって行くと際限もないほど広大な野原に出るという。ここには、月の光も太陽の光のない。なのに、昼間より明るい。大火事の現場のようである。これがかの焦熱地獄である。禅師の説明は具体的である。ここで、闇路という表現が出てくる。坐禅和讃に言う生死流転の闇路とはこういう意味である。ただ、頭の中で理解しているだけでは、禅師の真意に近づくことなど出来はしない。愚痴の闇路は禅師の中では具体的な存在として実在していたのである。
この段の後、地獄の有様が詳しく述べられるのである。罪人が所狭しと群れ居て、一滴の水も一粒の米もなく、猛火に焼かれ泣き叫んでいる。あそこには、我が父、我が妹がいるではないか。また、公家、大名、地頭、代官、庄屋、名主そして百姓、職人、町人にいたるまでありとあらゆる身分の人々が猛火に焼かれ泣き叫んでいる。中には、坊主頭の僧侶や尼さんまでが在俗の人々に劣らず叫喚、集合、無間の地獄の底に沈んで苦しみもがいている。しかも、善知識と人々から崇められた尊き高僧の方々までが獄卒の杖に打たれて泣き苦しんでいる。ひときわ、悲しく、気の毒なことである。まあ、ざっとこんな具合である。そして、かかる恐ろしき地獄に堕っしたくなくば、一念に隻手(せきしゅ)の音声を聞けと禅師は人々に勧めるのである。
さて、禅師にとっての地獄はいわゆるバーチャルリアリティー(仮想現実)ではない。恐らく、インド人にとってもそうであろう。ともに、現実である。宗教とはそういうものである。しかし、地獄は我々民族の宗教には存在しないのも事実である。だから、繰り返し繰り返し学ぶ事によって初めて地獄は見えてくるものなのである。学ばなければ決して仏教の死生観を我がものとすることは出来ない。肝に銘じるべきである。
(前世で我が身が播き置きし、種がこの世へはへるなり)
因果の道理一般について、白隠禅師はどう考えられていたのか、を「善悪種蒔鏡和讃」に見てみたい。
およそ此の世へ生れては、貴賎貧福おしなべて、無病長生き錢金を、誰しも願ふことなれど、病身若死貧乏を、いやでもするのは何ゆえぞ、前世で我が身が播き置きし、種が此の世へはへるなり。
冒頭の部分である。いわゆる「宿業」のことである。この世の不幸は前世の因縁つまり宿業の結果である。あの天照大神さえ弟神のご乱行に心痛され、また、釈尊も一家一族を出家させて子孫を絶やされてしまわれたてはないか。孔子さまもまた数々のご難に逢われた。禅師は続いてこう事例をあげた上で次にこう語りかける。
是れが因果の道理にて、神道、儒道、仏道の万代不易の掟なり。誰しも我が身を省みよ。今の我が身の苦と楽は、前世の播きし種なれば、今なす業(わざ)の善悪は、後世の苦楽の種ぞかし。悪種播かぬ用心は、偽りいはぬにしくはなし。
因果の道理信ずれば、我が身の上も人の身も、鏡にうつしみる様に、過去も未来もみゆるぞや。この世で銭金持つ人は、前世の種のはへしなり。前世で善き種播かざれば、この世で貧苦にせまるなり。この世で施しせぬ人は、来世で貧苦にせまるなり。
善因善果。悪因悪果。因果応報は明らかである。この事は今世は当然として、禅師が重視されたのは、過去・現在・未来の三世の因果応報である。ここに注意したい。
およそ因果の理を知るに、小因大果といふことを、よくよく心得給ふべし。たとえば一粒まく種に、実を数おほくむすぶにて、小(すこ)しの罪をもおそれねば、むくふ苦患(くげん)はかぎりなし。作(な)す善根は少しでも、多くの幸い得ることも、なづらへ知りて用心し、わづか蚊の足一本も、折らじと罪をつつしみて、小善とてもすてず積め。悪は根を断ち葉をからし、善の芽ざしに土かいて、栄えんことを願ふべし。
釈尊は善を求めて出家された。善行は仏教の基本である。善業は宿世の悪業を今生に償うものである。だから、蚊を殺さぬという小さな善とても、日常の習いの中に学べ(なづらへ知りて)と禅師は教えられるのである。
物ごと非道をする人は、生(いきわ)のうちはすむけれど、死にぎは苦痛はすさまじく、死ぬれば餓鬼や畜生や、修羅や地獄の苦を受けて、屋敷は草木ぞ生へしげる。たとへ草木ははへずとも、非道は子孫のあだぞかし。親の非道が子にむくふ。例(ためし)は世間に数おほし。おのおの栄花に暮らすのは、前世にまいたるよい種と、家業大事に勤ると、先祖の苦労のお陰なり。
悪事(非道)は三悪道へ堕ちる。親の因果が子に報うのである。親と子は別々ではない。それそれが、それぞれの業が互いを選んだのである。勝手に生んだとはとんでもない邪見である。
後生はてんでのかせぎにて、助合力はならざれば、とかく命のある内に、菩提の種をまき置けよ。人の命のもろきこと、草葉の露にことならず、今宵頭痛がし初めて、すぐに死病と成るもあり、朝げ喧嘩せし人が、暮れに頓死するもあり、 今日は他人の葬礼し、明日は我が身のそうれいか、財宝妻子我が身まで、みな是れ無常のものなれば、頼みすくなき娑婆界と、心によくよく合点して、むりなとんよく(貪欲)かはくなよ。
後生(来世)のことは誰も助けてくれない。全て、自己責任である。これも仏法である。悪道に沈んではもはや菩提どころではない。はかない人の命。そこをよくわきまえて今生の内に菩提の種蒔きをせよと白隠禅師は人々に勧めるのである。
宿世の因縁きく時は、世界に他人といふはなし。前世のわれらが父母(ちちはは)か。または兄弟しんるいか。いづれ因縁あればこそ、たよって来ると思ふべし。此の心得で手のうちの、施しとてもするならは、施す品は少しでも、我が身の果報は莫大ぞ。とても(どうせ)施しするならば、果報のおほく積む様に、真実心にほどこせよ。親や我が身の後世菩提、子孫繁昌願ひなば、善根功徳のよい種を、沢山まきおくやうにせよ。
歎異抄、第五段における親鸞聖人のことばを彷彿とさせる趣きである。今生だけを思っていたのではこんなことは到底理解出来ない。輪廻転生の流転の無数の生涯に想いを致して初めて解ってくる世界である。他人への思いやり(慈悲)の心も真実こんなところから沸き上がってくるものなのであろう。
以上、善悪種蒔和讃をざっと見てきた。末尾に作者不祥とあるが、そんなことはどうでも良い。白隠禅師の教えであることは間違いない。それでいいのである。
(当所即ち蓮華国、此の身即ち仏なり)
禅門では、「己心の弥陀」「唯心の浄土」といって、自己の他に仏や浄土を認めない。白隠禅師の立場はどうであったであろうか。最後に、ここの所を確認しておきたい。
それ摩訶縁の禅定は、称歎するに余りあり。布施や持戒の諸波羅蜜、念仏懺悔修業等、その品多き諸善行、皆この中に帰するなり。一座の功をなす人も、積みし無量の罪滅ぶ。悪趣いずくに有りぬべき、浄土即ち遠からず。かたじけなくも此の法(のり)を一たび耳にふるる時、讃嘆随喜する人は、福を得ること限りなし。いはんや自ら回向して、直に自性を証すれば、自性即ち無性にて、すでに戯論(けろん)を離れたり。因果一如の門ひらけ、無二無三の道直し。無相の相を相として、行くも帰るも余所(よそ)ならず、無念の念を念として、歌ふも舞ふも法(のり)の声。三昧無げの空ひろく、四智円明の月さえん。此の時何をか求むべき。寂滅現前するゆえに、当所即ち蓮華国、此の身即ち仏なり。
坐禅和讃の後半の部分である。摩訶縁の禅定とは、白隠禅師にとっては「見性」ということである。六波羅蜜も念仏も他の諸善行も見性を目的とするものでなければならない、というのが白隠禅師の立場である。このあたりの事情は「遠羅天釜(おらてがま)」に詳しい。摩訶縁の禅定の中にあっては三悪道などどこにもない。浄土はすぐ近くである。自己の正体(無自性)が解ってしまえば、何も求めるものなどない。その時、寂滅(悟り)が目の前に現われるのだから、此処今いる所が浄土(蓮華国)であり、この身がそのまま仏である。
白隠禅師にとっての大衆教化の為の諸説法は人々を見性体験に導く為の方便であった。しかし、己心の弥陀、唯心の浄土と言ったところで、体験を共にすることは不可能である。この意味で、禅はもともと大衆化できない宗教的構造を持っていると言わざるを得ない。禅の限界であり、禅の危険性でもある。
平成25年7月9日